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豚肉食のタブー

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
食のタブー > 豚肉食のタブー
豚バラ肉
豚肉は一般的な食肉であるが、ユダヤ教・イスラームなどにおいては摂取が禁じられている。

豚肉食のタブー(ぶたにくしょくのタブー)は古代近東においてすでにみられるものであり、エジプトやフェニキアなどにおいて忌避の習慣があった。ユダヤ教には『レビ記』『申命記』などに蹄が分かれ、かつ反芻する動物だけを食べてよいとの記述があり、これによって豚肉食が禁じられている。ギリシャ・ローマ勢力との接触のなかで、豚肉を避ける行為はユダヤ人の宗教的・民族的アイデンティティを示す象徴となるとともに、弾圧や差別の手段としても利用されることとなった。

キリスト教は成立当初、ユダヤ教の食物律法を背景に持っていたが、その後食物規律は厳密に守るべきものとはみなされなくなった。その後、キリスト教圏では豚肉を食べることがユダヤ教徒やムスリムとの違いを示す標識として機能した。ただし、エチオピア正教やセブンスデー・アドベンチスト教会など、一部の宗派においては豚肉を禁じる食物規律が残された。イスラームでは『クルアーン』により豚肉が、死肉・血・アッラー以外に捧げられた肉などとともに禁じられる。これはユダヤ教の規範を簡略化して受け継いだものとしても理解される。イスラーム世界の拡大後、養豚はその版図にふくまれた多くの地域で衰退した。

現代社会においては、ユダヤ人が多数派を占めるイスラエルにおいて、養豚および豚肉の流通が法的に制限されている。また、サウジアラビアやイランといったイスラム国家においても、豚肉が規制される。一方で、イスラエルやシリア、レバノン、エジプトといった地域においては、キリスト教徒によって豚の生産が行われている。

後世において、豚肉食のタブーについては神学的、あるいは宗教学・人類学的な考察の対象となった。寄生虫予防を理由とする説は、十分に加熱すればよいはずだという反論や、他の肉にも衛生上の危険がある点から広く疑問視されている。そのほか、象徴論的に境界を攪乱する存在であったからという説、乾燥地での養豚が非効率だったとする説、豚が人間の廃棄物を食べるため不浄視されたとする説、鶏の普及で豚の経済的価値が低下したとする説、民族アイデンティティを構築する道具としてタブーが機能したという説があるほか、これらが複合的に寄与したとの見方もある。

また、これらの宗教以外では、ヤズィーディー教やマンダ教などにおいても豚肉は忌避される。また、ヒンドゥー教においても必ずしも宗教的禁忌ではないものの避けられる傾向にあるほか、その他の地域の宗教・慣習においても豚肉を避けるものが散見される。

古代世界の諸宗教

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豚は新石器時代の近東で、イノシシが家畜化された結果として誕生した生き物である。現在のエルサレム郊外に位置するテル・モツァ(英語版)では、豚の家畜化を示す最古級の考古学的遺物が確認されており、紀元前7000年頃のものとされる、家畜化された特徴を持つ豚の骨が多く出土している。しかし、青銅器時代にはレバントにおいて豚が消費されていたことを示す遺物は減少していく[1]。

紀元前8世紀のバビロニアの知恵文学は、豚をその習性ゆえに不浄なものとし、太陽神シャマシュに忌み嫌われるものとしている。しかし、豚は日常生活で飼育され食されていた。アッシリア人は、豚を悪魔ラマシュトゥと結びつけていたが、それでも豚を食用とし、猪狩り(英語版)は称揚されていた。豚はアキトゥ祭(英語版)の期間中、バビロンでも犠牲にされた。古代エジプト人もまた、豚肉に関する独自のタブーを持っていた。この規則は、聖職者にのみ適用されていたようである。一方、エジプト人は年に一度、豚を犠牲にしていたとも言われる。豚肉に関するエジプトの宗教的制限が、ユダヤのそれらに影響を与えたのか、あるいはその逆なのかに関して、詳しいことは判っていない[2]。

テュロスのポルピュリオスによると、フェニキア人は豚肉を避けていた。フェニキアの考古学遺跡からは、豚の骨はほとんど発見されていないが、皆無という訳ではなく、特にカルタゴとウティカでは一定量が見られる[3]。紀元前397年のシュラクサイ包囲戦の後、フェニキアの植民都市であったカルタゴには、ギリシャのデーメーテールとペルセポネーの崇拝が導入され、子豚を犠牲にする習慣が定着した[4]。その地のローマによる征服後、特にローマ文化における豚の重要な役割により、カルタゴでの豚肉消費量は急増した[5]。

ユダヤ教・キリスト教

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聖書における記述

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ユダヤ教においては『旧約聖書』のモーセ五書(トーラー)にもとづき、食物に関する律法(カシュルート)が定められている[6]。「申命記」「レビ記」においては、豚(イノシシ)が汚れたものとして明示的に禁止されている[7]。

イスラエルの民に告げてこう言いなさい。地上のあらゆる動物のうちで、あなたたちの食べてよい生き物は、 ひづめが分かれ、完全に割れており、しかも反すうするものである。 従って反すうするだけか、あるいは、ひづめが分かれただけの生き物は食べてはならない。らくだは反すうするが、ひづめが分かれていないから、汚れたものである。 岩狸は反すうするが、ひづめが分かれていないから、汚れたものである。 野兎も反すうするが、ひづめが分かれていないから、汚れたものである。 いのししはひづめが分かれ、完全に割れているが、全く反すうしないから、汚れたものである。 これらの動物の肉を食べてはならない。死骸に触れてはならない。これらは汚れたものである。
—レビ記11:2-8、新共同訳聖書
すべていとうべきものは食べてはならない。 食べてよい動物は次のとおりである。牛、羊、山羊、 雄鹿、かもしか、子鹿、野山羊、羚羊、大かもしか、ガゼル。 その他ひづめが分かれ、完全に二つに割れており、しかも反すうする動物は食べることができる。 ただし、反すうするだけか、あるいは、ひづめが分かれただけの動物は食べてはならない。らくだ、野兎、岩狸。これらは反すうするが、ひづめが分かれていないから汚れたものである。 いのしし。これはひづめが分かれているが、反すうしないから汚れたものである。これらの動物の肉を食べてはならない。死骸に触れてはならない。
—申命記14:3-8、新共同訳聖書

歴史

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イスラエル人がカナンに入植した紀元前1000年頃の動物考古学的遺構は、寧ろこの時代に豚の消費が増加していたことを示しており、イスラエル人による豚肉食のタブーは、必ずしもはっきりしたものではなかったことがわかる。これは、特に北イスラエル王国の版図とされる地域において顕著であるが、ユダ王国における遺構でも、豚の骨が出土することは珍しくない。『旧約聖書』が成立したのは紀元前600年から紀元前300年ごろのことであると考えられている[1]。これは、ユダ王国の滅亡およびバビロン捕囚以後の出来事である。モーセ五書は祭儀的なテーマに強い関心を寄せていることから、おそらくは祭司らによって編纂された文書であり、正統的祭儀の保存がその意図であったと考えられている[6]。

『マカバイ書』によれば、エレアザル(英語版)は豚肉を食べることを拒み殉教した[8]。

聖書において、食肉としての消費が禁じられる動物はあくまで「蹄が分かれ、反芻する」という条件を満たさない種であり、ラクダ・ウサギ・イワダヌキなども豚と同様に禁じられている[9]。しかし、豚肉を好んで消費するギリシャ・ローマの諸国家がレバントに勢力圏を広げはじめると、豚は禁止されている食肉の中でも、ユダヤ性を象徴する記号として理解されるようになった[1]。ユダヤ教における豚肉食のタブーは、広く知られていたため、豚肉はユダヤ人を揶揄、あるいは弾圧するための道具として好んで用いられた。『マカバイ記』によれば、セレウコス朝のアンティオコス4世エピファネスは、ユダヤ教の慣行を制限する試みの一環として、自国に住むユダヤ人に豚肉の摂取を強制しようとした。アレクサンドリアのフィロンは、38年のアレクサンドリア暴動の際、一部のアレクサンドリアの暴徒も、ユダヤ人に豚肉の摂取を強制しようとしたと記録している[9]。『ミシュナー』および『タルムード』においては、エルサレムに供儀の動物として、豚が持ち込まれたことにより、イスラエルの地が揺れたとの記述があり、ジョーダン・ローゼンブラムはこうしたラビ文献が編纂された時代には、豚がローマの換喩として用いられていたと指摘している[9][10]。

ユダヤ人であるイエスと、その初期の使徒も、ユダヤの律法(ハラーハー)を遵守していたが、キリスト教が発展していくなかで、ユダヤ教的な律法は等閑視されるようになっていった。ローマ帝国の特に下層階級において、豚肉は重要な食物のひとつであり、これを禁じることは割礼とともに、非ユダヤ人に対する布教の障害となったためである。『新約聖書』においては、いくつかの箇所で、カシュルートを絶対視する必要はない旨が記述されている[11]。「使徒言行録」などに記載される45年のエルサレム会議においては、キリスト教に改宗した異邦人が『旧約聖書』にもとづく律法のほとんどを守る必要がないことが確認された[12]。

それから、イエスは再び群衆を呼び寄せて言われた。
「皆、わたしの言うことを聞いて悟りなさい。外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何もなく、人の中から出て来るものが、人を汚すのである」
イエスが群衆と別れて家に入られると、弟子たちはこのたとえについて尋ねた。
イエスは言われた。
「あなたがたも、そんなに物分かりが悪いのか。すべて外から人の体に入るものは、人を汚すことができないことが分からないのか。それは人の心の中に入るのではなく、腹の中に入り、そして外に出される。こうして、すべての食べ物は清められる」
—マルコによる福音書 7:14-19、新共同訳聖書
しかし、“霊”は次のように明確に告げておられます。
終わりの時には、惑わす霊と、悪霊どもの教えとに心を奪われ、信仰から脱落する者がいます。
このことは、偽りを語る者たちの偽善によって引き起こされるのです。
彼らは自分の良心に焼き印を押されており、結婚を禁じたり、ある種の食物を断つことを命じたりします。
しかし、この食物は、信仰を持ち、真理を認識した人たちが感謝して食べるようにと、神がお造りになったものです。
というのは、神がお造りになったものはすべて良いものであり、感謝して受けるならば、何一つ捨てるものはないからです。
神の言葉と祈りとによって聖なるものとされるのです。
—テモテへの手紙一 4:1-5、新共同訳聖書

しかし、3世紀頃の初期キリスト教文書である『ディダスカリア(英語版)』に記されているように、ユダヤ人キリスト教徒の一部も、豚肉食のタブーを採用した[13]。また、ヒッポのアウグスティヌスが410年の『ファウストゥス反駁(Contra Faustum)』に記すところによれば、当時のキリスト教徒には豚肉、あるいは四足動物一般を食すことを避ける者も存在した。アウグスティヌス自身は「レビ記」などにおける豚の禁止は貪欲・暴食といった豚が象徴するものの禁止を意味するものであると解釈し、この立場はカトリックをはじめとする多くのキリスト教宗派に採用された[14]。

ユダヤ人の誓い(15世紀)
ユーデンザウを描いた木版画(15世紀)

その後、豚肉食のタブーは、キリスト教徒をユダヤ教徒・ムスリムから区別する記号として機能するようになり、たとえばスペイン異端審問では豚肉を食べることが、改宗の証明として用いられた[14]。ムスリムの支配が続いたイベリア半島においては、豚を屠殺する祭礼であるマタンサがムスリム支配に対する抵抗の象徴となった[15]。マヨルカ島では、改宗ユダヤ人の子孫であるシュエタ(英語版)を取り囲み、ポケットに豚肉を滑り込ませる遊びがあった[16]。中世ヨーロッパにおいては、キリスト教徒とユダヤ教徒の間に訴訟が生じた場合、ユダヤ教徒はしばしば「ユダヤ人の誓い(英語版)」とよばれる、モーセ五書に手を当てて雌豚の皮の上で宣誓する儀式を行う必要があった[17]。13世紀から16世紀ごろのドイツにおいては、「ユーデンザウ(英語版)」と呼ばれる、ユダヤ人が雌豚の乳を飲んだり糞を食べたりする意匠が彼らを嘲笑する目的で描かれた[18]。

一方で、ユダヤ教徒も聖書を信仰しながら豚肉を食べるキリスト教徒を、キリスト教批判の格好の題材とした。13世紀に執筆された『セフェル・ニツァホン・ヤシャン(英語版)』において、キリスト教徒は「イザヤ書」にある「反逆の民」そのものであると糾弾されている[19]。

この民は常に私を怒らせ、私に逆らう。園で生け贄を捧げ、屋根の上で香を焚き、墓場に座り、隠れた所で夜を過ごし、豚の肉を食べ、汚れた肉の汁を器に入れながら「遠ざかっているがよい、わたしに近づくな。わたしはお前にとってあまりに清い」と言う。

—イザヤ書65:3-5、新共同訳聖書

また、キリスト教のなかには、豚肉食のタブーを守る宗派も存在した。エチオピア正教においては、豚肉食は依然として禁止されたほか、19世紀のアメリカで興ったセブンスデー・アドベンチスト教会は『旧約聖書』に由来する食物律法を復興させた[14]。バルカン半島の一部地域においては、同地の多数派であったムスリムの影響を受け、キリスト教徒も豚を避けた[20]。

近現代社会において

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イディッシュ語で書かれた豚肉増産に関するポスター(1931年、ソビエト)
豚肉を販売する店(2009年、イスラエル・ベエルシェバ)
養豚場(イスラエル、2014年)

20世紀アメリカのユダヤ教改革運動においては食物規律の撤廃が進められ、貝類やエビといったカシュルートで禁じられる食事が積極的に食べられた一方、豚肉についてはひきつづき敬遠された[21]。ユダヤ系アメリカ人には中華料理を好んで食べるものが多かったが、これには西洋料理店と異なり多くの中華料理店がキリスト教的色彩を持っておらず、また、豚肉が入っていたとしても細切れであり、ユダヤ人にとって比較的抵抗の薄い外国料理であったという背景があった(cf. ユダヤ系アメリカ人と中華料理)[22]。第一次世界大戦においては、アメリカの全国ユダヤ人福祉協会(英語版)がコーシャ食への対応を求めたが認められなかった。第二次世界大戦においてもアメリカ軍においては兵站として豚肉が提供され続け、少なくないユダヤ人兵士は連帯のため豚肉を食べた[23]。

20世紀ソビエトにおいてはユダヤ系ロシア人が養豚に参画せしめられ、一部のユダヤ系住民はショヘット(宗教的屠殺者)によって処理された豚肉はコーシャであるとすら考えていた[24]。1948年のイスラエル建国後、法律によって豚肉を禁ずるかどうかについては左派である社会主義シオニストと右派である宗教指導者のあいだで論争があったものの、1956年には自治体が豚肉の流通を制限することを認める法律、1962年にはキリスト教徒の居住地域を除いて豚の飼育を原則禁止する法律が成立した。とはいえ、実験動物としての豚の飼育については許容されたためこれを抜け穴として豚の流通は続いた。1980年代から1990年代にかけて旧ソ連地域からのユダヤ系移民がイスラエルに流入しはじめると、豚肉の消費量も拡大した[25]。豚肉を好んで消費するユダヤ系ロシア人移民の流入は、それ以前よりイスラエルで生活し、豚肉をタブー視するユダヤ系住民との軋轢を生じさせた[26]。現代イスラエルにおける豚肉流通の多くはアラブ系キリスト教徒が担っているが、キブツ・ラハヴ(英語版)においては研究用という名目で、ユダヤ人による養豚が実践されている[27]。

1985年には、イスラエル首相であるシモン・ペレスが豚肉の販売を禁ずる国会提案に賛意を示した[26]。2004年には、国会議員であるマリナ・ソロドキン(英語版)により自治体法にもとづく豚肉の流通制限を問題とする訴訟が行われ、自治体による豚肉の流通規制は住民の意思にもとづくものであるべきとする最高裁の見解が提示された[28][29]。2005年には、イスラエル軍においてハムサンドイッチを食べた兵士が営倉処分を受けたことが論議を呼び、結果として処分が取り消されることとなった[30]。

イスラーム

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クルアーンにおける記述

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イスラームにおける食物規範は『クルアーン』に明記されている。ユダヤ教と比較するとその規範は単純であり、食物のうち禁じられている(ハラームである)のは豚肉・死肉・血・他の神に捧げられた肉である[31][32][33]。

あなたがたに[食することが]禁じられるものとは、屍体、血、豚の肉、アッラー以外に捧げられたもの、絞め殺されたもの、撲殺されたもの、墜落死したもの、[角などで]突き殺されたもの、野獣に食い殺されたもの、ただし[それらが絶命する前に、適切な手段で]あなたがたが屠ったものは別である。また、[偶像への犠牲として]祭壇の上で屠られたもの、賭け矢で配分されたものも[禁じられる]。それは違背である。この日、[真理を]拒む者たちはあなたがたの宗教[を害すること]をあきらめた。それゆえ彼らを畏怖するのではなく、われを畏怖しなさい。この日、われはあなたがたのために、あなたがたの宗教を完成し、あなたがたへのわれの恩寵をまっとうし、あなたがたのための宗教としてイスラームを認めた。誰であれ、罪を犯すことを意図したのではなく、飢えに迫られてのことなら、本当にアッラーはもっともよく赦し、もっとも慈悲深い。
言いなさい。「私に啓示されたものには、屍体、こぼれた血、嫌悪すべき豚の肉、あるいはアッラー以外に捧げられた違背のものを除いて、食べる者が食べることを禁止されているものは何ひとつ見出せない」。しかし、欲したのでも度を越したのでもなく、やむを得ずのことなら、本当にあなたの主はもっともよく赦し、もっとも慈悲深い。ユダヤ教徒に対しては、われらはすべての蹄のあるものを禁じた。また牛と羊のうち、背と腸に付いているもの、骨と混じっているものを除いては、その脂も禁じた。これは彼らの反逆に対する報い。本当に、われらは真実を語る。
—クルアーン 6:145-146、クルアーン日本語読解

歴史

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ラクダ肉を売る人(2013年、モロッコ・サフィ)
ユダヤ教の律法においてはラクダ肉を禁じる一方、イスラームにおいては禁じられていない。

イスラームにおける豚肉食のタブーは、ユダヤ教における律法を、キリスト教のように全く廃絶することなく、簡略化した形で継承したものと理解できる。動物考古学的証拠に基づけば、アラビア半島においては新石器時代よりそもそも豚を飼育する習慣が存在しなかったため、この教義はイスラームに改宗する人にとって、大きな障害ではなかったと考えられる。一方で、ユダヤ教において禁じられる一方、同地において広く消費されていたラクダ肉に関する規制はイスラームには継承されていない[31]。ローマの歴史家であるソゾメノス(英語版)によると、イスラム以前のアラビア(英語版)の一部のアラブ多神教徒(英語版)は自らがイシュマエルの末裔であるとして、豚肉の摂取を控えていたという[34]。

イスラーム世界の拡大にともない、メソポタミアおよびイランにおいては、豚の飼育はほとんど途絶えた。一方で、東ローマ帝国の支配下となったアナトリアでは、その後も養豚が続き、キリスト教徒が一定数存在したレバントおよびエジプトにおいても限定的ではあるものの豚の飼育が確認できる[31]。イスラーム世界の版図においてキリスト教徒による養豚はしばしば容認されたが、豚肉を食べる「汚れた」キリスト教徒は社会的・政治的に疎外されることもしばしばあった[35]。15世紀のアレクサンドリアにおいては、ヴェネツィア人商人は同地で豚を飼育するために当局に高額の税金を支払っていた[36]。

イスラームにおいても、キリスト教徒の豚肉食は糾弾の対象となった。ハディース集のひとつである『サヒーフ・アル=ブハーリー』によれば、最後の審判(英語版)にあたってイーサー(イエス)は地上に再臨し、十字架を切り崩し、豚を殺すことで、キリスト教による神の教えからの違背を正す[37][38]。9世紀の思想家であるジャーヒズは、『キリスト教徒反駁(Al Radd ’ala l-Nasara)』において、割礼をせず、性交後に身体を洗わず、豚肉を食べるキリスト教徒は「不潔であり、汚れた生き物」であると主張した[19]。

イスラーム法学において、豚の利用に関する『クルアーン』およびハディースの解釈はしばしば議論の対象となった。『サヒーフ・アル=ブハーリー』『スナン・アビー・ダーウード(英語版)』などによればムハンマドは豚の売買も禁じているが[37][39]、売買以外の形で豚から利益を得ることについては神学者のあいだで見解の相違がある。アル=ダミーリー(英語版)のまとめるところによれば、シャーフィイーやイブン・ハンバルはこれを認めない一方でアブー・ハニーファはこれを認めた[37]。豚の肉以外の部分を利用することについても議論があった。ダーウード・アル=ザヒーリー(英語版)やアブー・ハイヤーン・アル=ガルナーティー(英語版)のような一部の学者は『クルアーン』において食用が禁じられているのは豚の肉のみであると論じたが[40]、これは主流派の見解ではなく、ダミーリーによれば、彼の師にあたるジャマール・アル=ディン・アル=イスナウィー(英語版)は豚の内臓をはじめとするすべての部位の利用は禁じられているとの立場を取った。また、マーリク学派のアル=クルトゥビー(英語版)は豚毛の利用を認めた。ほかに、海豚(al-khinzīr al-baḥrī)を豚の一種とみなすかどうかについても議論があった[37]。

イスラーム社会においては、ガレノスなどの影響もあって医薬品としての豚の摂取は許容されることがあり、イブン・バイタールやイブン・スィーナーなどが医療用途での豚の臓器や豚脂の利用について触れている[37]。フレデリック・シムーンズ(Frederick Simmons)によれば、モロッコのベルベル人は豚を飼育し、それを食用としていた[41]。また、エジプトのベドウィンやモーリタニアのニマディ人(Nemadi)などは、野生の豚(猪)については禁忌の対象ではないと考えていた[42]。

近現代社会において

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非ムスリム向け豚肉販売店(2015年、アラブ首長国連邦・ドバイ)

サウジアラビアにおいては豚肉の生産・販売が禁じられている[43][44]。イランにおいても豚肉の流通は禁止されているが、『共同通信』の取材によれば、近隣国からの密輸によりわずかに豚肉加工食品が流通している[45]。アラブ首長国連邦においてはムスリムが豚肉を消費することは法的に禁じられる一方、非ムスリムが豚肉を食べることは違法ではない[46]。カタールにおいても原則として豚肉の流通は禁止されているが、許可証をもつ非ムスリム居住者向けに、政府機関であるカタール流通会社(Qatar Distribution Company)が豚肉を販売している[47]。

シリアやレバノンなどにおいては、キリスト教徒が豚肉を消費している[48]。エジプトにおいては養豚は厳密には違法である一方、コプト正教会の信徒が豚を飼育している。2009年にはエジプト政府が豚インフルエンザの世界的流行を受けて、ゴミ収集を主業とするキリスト教徒であるザッバリーン(英語版)の飼育する豚30万頭を処分した[49]。これは公衆衛生上の問題というより、むしろエジプトのマジョリティが豚に対して抱いていた嫌悪が表面化した事例であると考えられている[50][51]。バングラデシュにおいてはベンガル人キリスト教徒や低カーストのヒンドゥー教徒、ガロ、サンタルといった少数民族が養豚に従事しているが、マジョリティであるムスリムは豚を快く思っていないことが多い[52]。

2000年には、インドネシアにおいて「味の素」の製造過程で豚由来の酵素が用いられていたことが問題化した。

産業社会の高度化にともないムスリムが自らの口にする食品がハラールであるかどうか判断することは困難になり、イスラーム圏には多くのハラール認証機関が設置されることとなった[53]。こうした動きは中東湾岸諸国のようなムスリムが大多数派を占める地域よりも、むしろ東南アジアのような多文化的地域、あるいは欧米のような移民・マイノリティとしてムスリムが居住する地域において盛んになった。その嚆矢となったのは東南アジアであり、うちマレーシアにおいては特に早く、1960年代よりハラール認証の規格化がはじまった。ハラール認証制度の規格化によってその基準も精緻なものとなり、2000年にはインドネシアにおいて、うま味調味料である「味の素」の発酵に用いられる菌の培地に豚由来の酵素が用いられていたことを発端とする「味の素事件」が起こった[54]。ハラール認証に関する統一基準は存在せず[54][55]、たとえばゼラチンについてイスティハーラ(istihala、酒から酢への変化のように、不浄な物質が清浄な物質に変化すること)を認めるかどうかについては議論がある[56]。

ムスリムがマジョリティでない地域において、豚肉食のタブーはしばしば政治的対立の原因、あるいは嫌がらせの道具として機能する[57]。2014年にはフランスのマリーヌ・ル・ペンが「世俗主義を守る」べく、学校給食において豚肉に代わる選択肢を提供すべきでないと主張し、のちにニコラ・サルコジもこれに迎合した。また、デンマークのラナースにおいては極右政党であるデンマーク国民党の提案にもとづき、学校給食のメニューに豚肉をふくめることが義務付けられた[58]。2015年にはフィラデルフィアのモスクに豚の頭が置かれる事件があったほか[59]、2016年にはロンドンのモスクに腐った豚肉が投げつけられる事件があった[16]。

後世の解釈

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衛生的解釈

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旋毛虫の存在が豚肉食のタブーと関連しているという説は、多くの研究者から批判されている。

ギリシャ・ローマ世界の思想家はユダヤ人の慣習を好奇の対象として見たが、うちタキトゥスは『同時代史(英語版)』において、ユダヤ人の豚肉食禁止は、嘗て彼らが豚のかかる疥癬に悩まされたゆえであると述べている[60]。12世紀の医師・思想家であるマイモニデスは、『迷える者の手引き(英語版)』において、豚肉は「必要以上に湿っており(cf. 四体液説)、多くの物質を含んでいる」うえ、不潔でもあるゆえに禁じられていると論じた[60][6]。ナフマニデス(英語版)、ラシュバム(英語版)など中世のユダヤ系思想家には同様の立場を取るものがいたほか、より近代においてはウィリアム・オルブライトなどもこれを支持した[61]。一方で、15世紀のユダヤ人思想家であるイサク・アブラヴァネル(英語版)はこうした医学的見地から食のタブーを解釈しようとすることを厳しく非難した[62]。

ある食物を神が禁じたもうたのは医学的理由からであるということを、私が信じるのを、神は許されはしまい!もしそうなら、『聖書』を教えるのは、小さな簡易の医学読本のクラスでということになってしまうだろう……さらに、わたしたち自らの目で、豚肉や昆虫やそうしたものを食べる人々が……まさに食べたその日でも元気に健康に生きているのを見ているではないか……その上、ブタよりもっと危険なのに、食すのを禁じたリストに出てこない動物がいるではないか。
—イサク・アブラヴァネル、シムーンズ (2001, pp. 98–99)

19世紀には、火を通していない豚肉を食べることにより罹患する病気である旋毛虫症の存在が知られるようになり、進歩的なユダヤ人を中心に「この戒律は、寄生虫症の予防を理由とするものなのではないか」と考えられるようになった[63]。この説は、律法学者によって直ちに批判された。豚肉の衛生上の問題が、タブーの理由なのであれば、律法の内容は「よく焼いた豚肉だけを食べるように」となるはずである[64]。また、禁止の対象を豚に限らず「蹄の分かれた反芻する生き物」とする合理的理由もない。豚肉が有害であるならば、多くの社会で豚肉が好んで消費されていることが説明できず[63]、ユダヤ教徒が禁ずるラクダをムスリムが問題なく消費していることも理解できない[61]。また、マーヴィン・ハリスの指摘するように、ユダヤ教・イスラームにおいて宗教上不浄とされない肉であっても一般に、火を通していない肉には衛生上の問題がある[64]。

寓意的解釈

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アレクサンドリアのフィロンは、豚肉が禁じられる理由を寓意的に解釈した。

ユダヤ教徒であるアレクサンドリアのフィロンは、豚肉が禁じられているのは、それがあまりにも美味であり、思考の反芻を妨げるとともに暴食の罪をもたらすからであると論じた[65][66]。70年から130年ごろに書かれた[67]、使徒教父文書のひとつであるバルナバの手紙においては、聖書における豚肉食の禁止はすなわち「豚のような性質を持つ人」、より具体的には「丁度豚が餌にありついている時は主人を認めず、空腹の時は鳴き叫び、そして餌を貰うと再び静かになるように、豊かである時は主を忘れているが、欠乏すると主を認める」人との交際の禁止を意味する修辞であると論じられている[68][69]。アウグスティヌスは、豚の禁止は貪欲・暴食といった豚が象徴するものの禁止を意味するものであると解釈した[14]。

象徴論的解釈

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ジェームズ・フレイザーはテスモポリア(英語版)のような祭祀で豚が供物として用いられていたことに着目し、豚はイスラエル人およびエジプト人にとって神聖な動物と認識されたゆえに遠ざけられ、後に神聖性が忘れ去られたためタブー化したのであると論じた。また、ジェイコブ・ミルグロム(英語版)は、豚は冥界の神に関する儀礼と紐づいていたゆえに禁じられたのではないかと論じた。マックス・プライス(Max D. Price)は、これらの説はいずれも実証的証拠を欠くと指摘している[70]。ハリスは「神聖な動物」という枠組みが問題なのであれば、牛はもっとも汚れた生き物ということになっていたであろう(cf. 金の子牛)とフレイザーの説を批判している[71]。

メアリー・ダグラスは、1966年の『汚穢と禁忌(英語版)』において、「汚れたものである」とは既存のカテゴリ体系を撹乱しかねない、場違いなものであると論じたうえで[72]、ユダヤ教における豚の禁止は、「潔き肉」を産出し、「反芻し、蹄が分かれているもの」という特徴を持つ牛・羊・山羊といった標準的な地上の生き物が属するカテゴリーの境界を攪乱する存在であるからと論じている[73]。一方で、この解釈は、分類体系が特定の動物を嫌うという慣行に先んじて整備されているという前提においてのみ理解できるとの批判があった。後に、ダグラスはこれらのタブーはバビロン捕囚時代に祭司階級が征服者とユダヤ人を区別するために作り上げた律法であると主張した[74]。さらに、1999年の『文学としてのレビ記(Leviticus as Literature)』などにおいては、聖書の食肉に関する律法は「犠牲にしてよい動物」を定めたものであり、豚のような生き物を屠殺することが禁じられるのは、寧ろ神の被造物をみだりに傷つけないためであると論じた[74][75]。

社会・環境的解釈

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ネゲヴ砂漠(2022年)
イスラエルの乾燥した気候が豚を飼育するのに不適だったことが豚肉食のタブーと関連しているという説も存在する。

チャールストン・クーン(英語版)は、豚肉食のタブーは森林の減少により養豚が困難になったことが原因なのではないかと主張した[76]。マーヴィン・ハリスは、当時のイスラエル人の居住地域が植生の乏しい、気温の高く乾燥した地域であったことが、豚肉の禁止の理由であるとした。豚は牛や羊のように、セルロースの多い植物を摂取できず、群れもなさないため、遊牧民の生活環境に適していない。また、発汗能力もないため体温調節が不得意であり、気温の高い環境での飼育には水が必要となる。ハリスは、こうした環境において豚を育てることは資源の浪費であり、集団の規律としてこれを規制する必要があったと論じた[77]。

ポール・ダイナー(Paul Diener)とユージン・ロブキン(Eugene Robkin)は、パレスチナ沿岸部をはじめとして、中近東において豊富な水を得られる地域は多く存在すること、豚は泥浴び(英語版)ができる環境であれば、気温の高い環境でも問題なく活動できること、豚は人間の廃棄物を食物として摂取できることなどをもとに、ハリスの説を批判した。彼らは反対に、豚は農村においてあまりにも容易に育てられるゆえ、国家による管理の対象としづらかったことが禁止の理由であると論じた[78][79]。マーク・エッシグ(Mark Essig)は、森林の少ない近東地域において豚が廃棄物や人糞などを食していたことが豚の不浄視につながり、一方で森林が広がり、どんぐりや植物の塊茎といった餌が豊富にあったイタリア半島では、このようなタブーが生じなかったのではないかと論じた[80]。リチャード・レディング(Richard Redding)は、鶏がより経済的なタンパク源として普及したことにより豚が回避され、それが後にタブーへと繋がったと論じた[81][82]。

紀元前8世紀頃のイスラエル
ペリシテ人のような豚肉を食べる民族が近隣にいたことは、ユダヤ人が豚肉食のタブーを戒律とするうえで何らかの役割を果たした可能性がある。

フレデリック・シムーンズは、豚の忌避は民族アイデンティティを構築する道具(cf. 民族#ネイション・エスニシティ論のパラダイム)であり、エジプトにおける豚肉食の禁止は、彼らが(しばしば豚と紐付けられる神である)セトを崇拝する民族・ヒクソスと対立していたこと、イスラエルにおける豚肉食の禁止は、牧畜民と農耕民の対立の中で、豚が農耕民と紐付けられたことが理由なのではないかと論じた。一方で、考古学的資料は当時のイスラエル人が移動牧畜生活を営まず、村落に定住していたことを示しており、遊牧民的アイデンティティが、どの程度イデオロギーに影響したのかは不透明である[83]。

マックス・プライスは、このタブーが生まれた要因は単一に絞られないと論じ、環境・政治的な何らかの理由で豚を消費しない傾向にあったイスラエル人と、豚肉を好んで消費するペリシテ人の間でこの文化の差異が民族的境界として機能し、のちに祭司階級らによってこれを説明する後付の根拠として「蹄の割れた反芻する動物」という基準が作られたとしている[84]。ジャスティン・レフトフ(Justin Lev-Tov)は、聖書における食物規範は豚あるいは食肉に限ったものではなく、プライスは体系全体の意味を十分に説明できていないと論じている[85]。

その他の宗教における豚肉食のタブー

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ヒンドゥー教

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『アーパスタンバ・ダルマスートラ(英語版)』や『チャーンドーギヤ・ウパニシャッド』などには、豚を不浄な食物として忌避すべき旨が記されている[86]。ヒンドゥー教においては豚肉は必ずしも宗教的禁忌とはなっていないが、特に上流階級は豚肉食を避ける傾向がある[87]。また、これに影響されるかたちで、不可触民にも豚肉を禁忌とする戒律をもつ集団がある[88]。一方で、南インドにおいては豚がヒンドゥー教の神に対する供犠にそなえられることもある[89]。バリ島においては菜食主義を守るバラモン階級を除いて、ヒンドゥー教徒も豚肉を食べる[90]。

近東・イスラム世界周辺の宗教・慣習

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その他の地域の宗教・慣習

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  • インドに居住する民族である、ソーラ人(英語版)の伝統宗教においては女性は豚肉を食べることが禁じられている。シムーンズは、これについてヒンドゥー教の影響というよりもそれ以前の慣習に由来するものであろうと考えている[93]。
  • ニューギニア沖のタマラ島(英語版)においては、死者の霊が豚の身体を通過することがあるという理由から豚肉は忌避されている[94]。ニューブリテン島・ソシエテ諸島・マルケサス諸島・ハワイなどにおいては、女性が豚肉を摂取することを制限ないし禁止する慣習があった[95]。
  • チベットにおいては豚は不浄な動物と考えられており、仏僧同様に遊牧民も豚肉を忌避する。一方、定住民についてはその限りではない[96]。
  • スコットランドの北東部においては豚肉食のタブーこそなかったものの豚は不潔と考えられ、海に出る場合「豚」という言葉を口に出すことは不吉だとみなされた[97]。

出典

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参考文献

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関連文献

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