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悲しきヒットマン

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『悲しきヒットマン』は、山之内幸夫のルポルタージュであり、それを原作とした東映製作のヤクザ映画である[1][2][3][4]。

概要

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1988年6月、徳間書店で刊行(徳間文庫でも再刊)。「悲しきヒットマン」というタイトルは、徳間書店が考えたものである。当時山口組の顧問弁護士であった著者が、「鉄砲玉」を通して見たヤクザ世界の内幕を書いたルポルタージュ本として話題になった。

東映は原作本のゲラを読んだ時点で映画化の方針を決め、窓口になる徳間書店に積極的に働きかけ、映画化権を獲得する。

映画以外にVシネマでも、『新・悲しきヒットマン2』(1997年、主演:今井雅之)、『悲しきヒットマン 蒼き狼』(2000年、主演:野村祐人)と2作品製作されている。

主役 高木昇のモデルは「悲しきヒットマン」の事件とは別で、2007年の山健組内身内殺人事件で18年に及び逃走していたが、2025年10月26日午後6時ごろ[5]、神戸市東灘区の路上で[5]逮捕された[6][7]。

悲しきヒットマン

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悲しきヒットマン
Lonely Hitman
監督 一倉治雄
脚本 松本功
杉山義法[8]
原作 山之内幸夫
製作 俊藤浩滋
高岩淡
出演者 三浦友和
萬田久子
松村雄基
品川隆二
正司歌江
睦五朗
綿引勝彦
池波志乃
誠直也
本田博太郎
成田三樹夫
名高達郎
音楽 大野雄二
撮影 浜田毅
編集 市田勇
製作会社 東映京都撮影所[9]
配給 東映[1]
公開 日本の旗 1989年9月9日
上映時間 114分[1]
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
配給収入 4億5000万[10]
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1989年9月9日に東映系で公開された三浦友和主演[1]、一倉治雄監督による日本映画[1][2]。ビデオ[4]、DVDとも東映ビデオからリリースされている[2](公式レンタル盤を含む)。アウトロー映画の老舗である東映が映画化を決め[3]、当時の東映ニューウェーブ・ヤクザ映画路線の一本として製作された[3][11][注 1]。

一連の「山一抗争」をモデルとする「実録ヤクザ映画」である[2][10][12][13][14][15]。

1989年6月21日に東京會舘で行われた製作発表会見でも「暴力団山口組四代目組長の誕生から、分裂した一和会と山口組の抗争を背景に、巨大な暴力団抗争の最前線で命を張り、一方で良き夫・良き父として家庭の幸せを求める矛盾した二つを共存させた一人のヒットマン(殺し屋)の生き様を描く実録ヤクザ映画」と告知された[15]。

キャスト

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スタッフ

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製作

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製作としてクレジットされる俊藤浩滋は、1973年に岡田茂東映社長と製作方針をめぐり一時決裂[13]。本格的な任侠映画しか作りたくない俊藤は、1975年にフリーのプロデューサーになった[13]。1980年代に岡田茂がしきりに「実録ものを作れ」と俊藤に要請し[13]、乗り気はしなかったが『制覇』と本作、『激動の1750日』『極道戦争 武闘派』を作った[13]。本作の監督、一倉治雄も俊藤の抜擢による[13]。俊藤は賭場の客として出演もしている。

脚本

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高岩淡東映専務兼東映京都撮影所長は、1989年始めに行われたと見られる『AVジャーナル』のインタビューで「9月に公開が決まっている『悲しきヒットマン』は、山口組一和会の抗争事件の中の鉄砲玉の話です。俊藤浩滋さんと天尾完次プロデューサーで、いまシナリオを杉山義法が書いているところで、キャストはまだ何も決まってませんね。すべてはホンが上がってからでしょう」などと[14]、1989年1月か2月頃と見られる『映画時報』の東映幹部の対談で「山口組の元顧問弁護士の原作をもとに『五稜郭』とか日本テレビの年末時代劇をずっと書いてるテレビ界の第一人者の杉山義法が初めてヤクザ映画を書くわけです。特に男性的な作家ですから、非常に面白いものが出来ると思うし、女がらみの話を上手く取り入れていこうということで、俊藤浩滋と天尾完次という二大プロデューサーが初めて手を結び合ってやる作品です」[8]などと述べている。脚本クレジットの松本功の役割は不明。

製作会見

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1989年6月21日にあった製作発表会見で高岩は「東京(東映東京撮影所)でナウい作品ばかり撮っている一倉監督に初めて京都に来てもらい、本格的なドキュメントタッチの作品に取り組んでもらうことになった。社会的に問題の多い題材だが、アウトロー映画の決定版に仕上げてヒットさせたい」などと[15]、天尾プロデューサーは「山口組の元弁護士の原作であり、今までにない、ひと味もふた味も違ったヤクザ映画になる」などと、山之内幸夫は「何故ヤクザは個人的に恨みも憎しみもない相手を殺しに行けるか、それは自分の存在感をアピールするためなんです。存在感を認めてもらうために落ち込んでいく"はぐれ者"の苦しみを知って欲しい」などと、三浦友和は「ヒットマンの役は初めて・高木という人物と格闘しながら面白い作品にしたい」などと述べた[15]。

演出

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高岩東映京都所長と小野田啓東映宣伝部長は、一倉治雄監督について、降旗康男監督の助監督を務め、蔵原惟繕監督に就いても修行しているので撮り方は、降旗監督に似ている、無口で朴訥で信念を持ってとことん粘る二人の匂いが出ている、などと評している[12]。

キャスティング

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東映Vシネマが始まった時期と公開が重なるため、名高達郎や、松村雄基、長倉大介、小沢和義といった東映Vシネマの常連俳優となる役者が出演している。

撮影

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1989年6月24日クランクイン[15]、8月24日完成予定[15]。道頓堀、新大阪駅他、大阪市と新開地[16]など神戸市でふんだんにロケが行われている。他に兵庫県淡路島・おのころ愛ランド公園、京都市寺町京極商店街など(エンドクレジットに「撮影協力」として表記)。宮沢良子(萬田久子)が働くクラブや、組事務所、機内などが撮影所のセットと見られ、撮影の浜田毅は怖いと名を轟かす東映京都撮影所に行ってみたくて、一倉監督と二人で東映京都に行った、東映京都の美術や大道具のスタッフとは結構ぶつかったと述べている[17]。高岩東映京都所長は「若手スタッフで映画を撮るのは東映京都では珍しいこと」と述べている[12]。中盤に宮沢良子(萬田)をめぐって高木昇(三浦友和)と小池豊和(本田博太郎)が、ロシアンルーレットで対決するシーンがある。

宣伝

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昨今の番線映画では有り得ないが、全国宣伝キャンペーンに、主演の三浦友和は他の映画のロケで不在、一倉監督も次のテレビ映画の仕事で参加せず[12]。山之内弁護士が全国を回ったが、全国キャンペーンに弁護士が来ることは普通はないため、地方のマスコミが「やくざに肩入れしてやっている」などと強く突っ込み、話の上手な山之内が堂々とこれに答えた[12]。

興行

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1989年6月21日にあった製作発表会見では1989年9月2日公開予定と告知されたが[15]、一週間遅れての公開。

作品の評価

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興行成績

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一本立て興行で配給収入4億5000万[10]。「山一戦争」素材で西高東低の興行となった[10]。高岩東映専務は封切6日後の1989年9月14日に行われた東映幹部の対談で、「決して大成功とは言えませんが、中堅クラスの成績をあげていますし、試金石としては成功のラインに乗りました」などと[12]、鈴木常承東映営業部長は「『極道の妻たち 三代目姐』が配収5億ですけど、これに近い数字になってますので、大善戦です」と述べている[12]。高岩が「製作費は安い」と述べており[12]、東映のヤクザ映画はビデオも強いことから(5万本の売上げを想定していた)[10]、トータルでは黒字になったものと見られる 。

批評

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  • 高岩淡東映専務は、本作の封切6日後の1989年9月14日に行われた東映幹部の対談で「この映画が上手くいった要因は、原作者で山口組の顧問弁護士だった山之内幸夫さんが非常に熱心だったということです…処女作が映画化されて、自分の思想がみんなに見てもらえることが凄く嬉しかったそうで、脚本の段階から、専門家の立場での意見も言われましたし、色々な根回しを全部やって下さった」などと述べている[12]。
  • 『映画年鑑 1991年版』には「東映本来のヤクザを期待するファンには食い足りないためか不発に終わった」と書かれている[18]。
  • 『シティロード』は「数ある東映のヤクザ映画の中でも弁護士が著した実録小説の映画化は初めてだろう。実在のヒットマンのひたすら殺すことに徹していく壮絶な生き様を描いた。新進の一倉監督が小気味良いジャズ・サウンドをバックに骨太なドラマに仕立てている」[19]、「『友和はあの憂鬱な顔がいいんだ。変にリアリティが出る』とは『226』の笠原和夫の言葉だが、今回も負け戦の中の悲壮感が漂っていい。兄貴分の成田三樹夫も名高達郎もヘタの売りっぱなしの負けっぷりも壮観だ。友和はかつては『百恵の旦那』と色眼鏡で見られていたけど、30代後半を迎えて俄然よくなってきた(中略)新鋭一倉監督が、東映調を残しつつ、ニュー・アウトロー映画の新しい地平を切り拓いた快作だ」[20]などと評した。

新・悲しきヒットマン

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1995年7月1日公開。ギャガ・コミュニケーションズ配給。石橋凌主演。

キャスト

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スタッフ

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新・悲しきヒットマン2

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徳間ジャパンコミュニケーションズよりVHSで1997年7月4日発売。今井雅之主演。

悲しきヒットマン 蒼き狼

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ミュージアムよりVHSで2001年3月21日発売。野村祐人主演。

キャスト

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スタッフ

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  • 監督:横井健司
  • 製作:北側雅司、中島仁、山之内幸夫
  • 企画:鹿糖雅博、前田茂司
  • 原作:山之内幸夫
  • プロデューサー:柳瀬太郎、南雅史
  • 企画協力:植松泰男、磯田一也
  • 脚本:水上竜士
  • 撮影:南正博
  • 照明:大町昌路
  • 録音:西岡正巳
  • 美術:藤井章吾
  • 音楽:遠藤浩二
  • 音響効果:丹雄二
  • 編集:田中博和、平田幸仁
  • 助監督:多胡由章
  • 制作担当:向井達矢
  • キャスティング:富田敏家
  • 衣裳:宮田弘子
  • メイク:笠原洋子
  • 殺陣:諸鍛冶裕太
  • スチール:石川登栂子
  • 方言指導:上村啓二、高畑しをり
  • 制作:ミュージアムピクチャーズ
  • 制作協力:楽映舎
  • 製作:ミュージアム

関連項目

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脚注

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注釈

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  1. ↑ 高岩淡東映専務は「ドロップアウトした人間のアウトロー映画、陣内孝則君の『ちょうちん』あたりから変わってきました。そういう道のりがあって『悲しきヒットマン』があります」などと述べている[12]。

出典

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  1. 1 2 3 4 5 “悲しきヒットマン”. 日本映画製作者連盟. 2026年5月24日閲覧。
  2. 1 2 3 4 悲しきヒットマン – 東映ビデオ
  3. 1 2 3 悲しきヒットマン – WOWOW
  4. 1 2 『ぴあシネマクラブ 日本映画編 2004-2005』ぴあ、2004年、191頁。ISBN 978-4835606170。
  5. 1 2 “山口組系組長刺殺、最後のキーマン「どこまで語るか」 逃亡18年、捜査関係者「神戸にいたとは」”. 神戸新聞NEXT. 神戸新聞社 (2025年11月4日). 2025年11月14日閲覧。
  6. ↑ 大木健一 (2025年11月12日). “身内殺しから18年に及ぶ逃亡劇に幕...。映画化もされた"悲しきヒットマン"逮捕に見えるヤクザの不条理”. 週プレNEWS. 集英社. 2025年11月14日閲覧。
  7. ↑ “「悲しきヒットマン」76歳で逮捕! 18年間の逃亡劇で注目される支援者の名前”. デイリー新潮. 新潮社 (2025年11月6日). 2025年11月14日閲覧。
  8. 1 2 高岩淡東映専務取締役・鈴木常承東映常務取締役・小野田啓東映役員待遇宣伝部長、聞き手・松崎輝夫「構造変化に対応し拡大再生産推進!! 映画からビデオまで製配業の発想を転換 本誌特別インタビュー」『映画時報』1989年3月号、映画時報社、14–15頁。
  9. 1 2 3 悲しきヒットマン - 国立映画アーカイブ
  10. 1 2 3 4 5 「ビデオ・データファイル〔日本映画編〕」『AVジャーナル』1990年1月号、文化通信社、62–63頁。
  11. ↑ 歴史|東映株式会社〔任侠・実録〕(Internet Archive)
  12. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 高岩淡東映専務取締役・鈴木常承東映常務取締役営業部長・小野田啓東映役員待遇宣伝部長、聞き手・松崎輝夫「外部との製作提携も積極推進!チェーン館の利益優先を考える…… 本誌特別インタビュー」『映画時報』1989年10月号、映画時報社、4–15頁。
  13. 1 2 3 4 5 6 俊藤浩滋、山根貞男『任侠映画伝』講談社、1999年、227–231,262,270–276頁。ISBN 4-06-209594-7。
  14. 1 2 「東映高岩淡専務の京撮への熱い想い入れ 東映京都撮影所のあふれる活気 高岩淡インタビュー」『AVジャーナル』1989年3月号、文化通信社、34頁。
  15. 1 2 3 4 5 6 7 「製作ニュース アウトロー映画の決定版 東映『悲しきヒットマン』」『映画時報』1989年7月号、映画時報社、35–36頁。
  16. ↑ 「神戸の映画」大探索 – 神戸映像アーカイブ実行委員会 - 神戸映画資料館
  17. ↑ 浜田毅インタビュー moment
  18. ↑ 『邦画製作界 記録編』1990年12月1日発行、時事映画通信社、104頁。
  19. ↑ 「邦画封切情報『悲しきヒットマン』(東映)」『シティロード』1989年9月号、エコー企画、39頁。
  20. ↑ 「邦画封切情報『悲しきヒットマン』(東映)」『シティロード』1989年10月号、エコー企画、40頁。

外部リンク

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